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バンクーバーの歴史

バンクーバーの歴史

バンクーバーとは
バンクーバーの地名
バンクーバーの歴史
バンクーバーの経済

ロッキー山脈に発しジョージア海峡に注ぐフレーザー川の河口地域にマスキーム(Xwmethkwyiem)といわれる先住民族が居住したのは少なくとも3,000年以上前であったと言われている。

ただし、豊かな自然環境を考慮すると10,000年以上も前から人類が住んでいたとも考えられている。

ヨーロッパから探検家が到着した頃には、マスキーム族(Musqueam)とスクワミッシュ族(Squamish)が既に村を形成していた。

北バンクーバー地域にはツレイルワスス族(Tsleil'wauthuth)が居住していた。

これらはサリシュ海岸(Coast Salish)先住民族と言われ、フレーザー渓谷から北部ワシントン地域を居住区としていた。

1791年にスペインのホセ・マリア・ナルバエス(Jose Maria Narvaez)船長がジョージア海峡を探検した。

翌年1792年にはイギリス海軍のジョージ・バンクーバー提督がスペイン探検団とともにバンクーバー島西岸からジョージア海峡に入り、現在のシアトルのあたりまで到達した。

その後、毛皮の交易所がコロンビア川やフレーザー川に沿って設立され、ブリティッシュ・コロンビアの内陸部にもヨーロッパ人の入植が相次いだ。

ハドソン湾会社などがますます進出した。1858年にはフレーザー川下流岸にも金鉱が発見され、ゴールドラッシュが始まった。

1865年にはコロンビア川岸でも金鉱が発見されたが、すぐにゴールドラッシュは収束した。

現在のバンクーバー港の中心であるバラード入江にて林業が盛んになり、1863年には最初の製材所がムーディービル(現在のノースバンクーバー)に開業。

1865年にはオーストラリアへ輸出が開始された。

1865年までには現在のバンクーバー市街のあたりにも製材所が開業された。

カナダがイギリスより独立し「カナダ植民地」(Dominion of Canada)が設立された4年後、1871年にはブリティッシュ・コロンビアが「カナダ植民地」(カナダの連邦政府)に加盟。

そのときブリティッシュ・コロンビア州政府が、グランビルを調査、ギャスタウンに州都を設置した。

1885年、カナダ植民地政府のマクドナルド首相の指示のもと、カナダ・パシフィック鉄道(CPR)がグランビルに大陸横断鉄道の西海岸側の終着駅を建設。

CPRは、おそらくバンクーバー島に因んで、終着駅の名前を「バンクーバー」とした。

その後1886年4月6日、正式に「バンクーバー市」が施行。間もなくモントリオールからの大陸横断鉄道定期便が開業された。

1886年の大火事で町の大部分が焼失したが、鉄道での物資の補給等により間もなく復興した。

1888年にスタンレーパークが開園。

大陸横断鉄道がバンクーバー港と接続し、カナダが太平洋岸からも世界各国へつながることとなった。

1891年にCPR初の貨物船「"Empress of India"」が東洋から到着した。

1914年にはパナマ運河が開業し、バンクーバーは北太平洋の重要な海港の一つとなった。

20世紀に入ってもギャスタウン周辺が市の中心として栄えた。

1922年にバンクーバーの車両交通は、イギリス方式の左側通行から右側通行に切り替わった。

1937年にライオンズゲートブリッジが開通。市制100周年に当たる1986年には国際交通博覧会(Expo 86)が開催され、それに合わせて新しい交通機関スカイトレインの運行がスタートした。

カナダの天然鉱物資源および工業製品、石油等を輸出する重要な港としての港湾業や、水産農林業、観光その他によって、バンクーバーの都市圏はその後も順調な成長を続け、周辺の都市と合わせると人口200万人を超え、カナダ第3位の大都市圏を形成している。

自然環境と都市文化のバランスのいい発展を背景に、世界各国からの移民が急増した。

特に1997年の香港の中国返還に際し、共産主義化を恐れた香港系中国人の移民が急増した。

第二次世界大戦前から日系移民も多く以前は日本人街もあったが戦後急速に衰退していった。


(C)バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)

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